飲みました(ベースのはなし)

泥酔するときは特定の人と決めています。もう7年のお付き合いになるのか。Aさん、沖漬おいしかったです。ありがとうございます。もう宿酔いが来た。いつもその日のうちに宿酔いになる。
7年も一緒に飲んでいるのに私は何も知らないなあ。きょうはお店の人と、Aさんの腕時計が50万円くらいするんじゃないかという話をしていました。するかもしれない。でもそんなことはどうでも良いのです。どうしてかな。Aさんを終電のないホームに残して帰ってもそこに核が落ちても、多分大丈夫な気がします。Aさんのベースがとても素敵で綺麗だからでしょう。ベースのしっかりした人と飲むたび、どうしてこの人はお酒が必要なのかな、と思います。

ボタ山ブギウギ

ボタ山ブギウギ


いろんなベースの話。坂本政十賜さん×山方伸さんギャラリートークに行きました。
(以下はこれから写真展を見に行く方にはネタバレ的な箇所もありますので、都合の悪い方は読まないほうがいいと思います)

面白かった。司会としてディープパープル兄貴がきちっとお話されていましたが、山方さんの写真を実際に間近に見てやはりコラージュのような気がするという思いは消えませんでした。今回の出品作品は主に地方の街のなんでもない風景を、白黒で撮影されたものですが、今まで白黒写真というものの持つイメージとして、自分の中で勝手に「濃淡のついている風景だから偉そうに見えるなあ」というのがあったのです。白と黒、そしてグレーで構成されるからこそ特にその、グレーの部分が無限のようにあがってくるという意味で特に、さまざまな色の(グレーの)ついたものを決して良くは思わないというか、いろんなグレー出したら勝ちなんか!それでいいんか!というか、むしろ意識的に避けているふしさえありました。ただ、山方さんの写真でいつも妙な気分になるというか、いつものその私の気に障る「偉そう白黒」とは違う部分があるのだとしたら、それはやはり「風景がいつも少し、浮いて見える」という部分なのだと思います。「フレーミング」「四隅」という言葉がトークではあがっていましたが、そのフレーミングすることによって抽出される画面の真ん中が浮いて見えるのは住居や柱の配置が白やグレーの空や壁に覆いかぶさることにより、一層際立って見えているからで、しかしその際立ち方はあまり写真っぽくないなあ、と思いました。昔、文化祭のときヤンキーの人とやった旗を作る作業が頭をよぎりました。あの時、ものすごい分量の白い紙をとにかくちぎった折り紙で埋めなければならなくて、それをヤンキーと二人きりでやるという作業自体がものすごい苦痛で、ヤンキーの人はなんだかよくわかりませんが色紙をちぎって貼るんではなくて、時間をうかすのか面倒くさいのか信じられないことにそのまま、ちぎらずに貼っていたのです。結果、なんだかよくわからないがもうしょうがないので、ヤンキーの貼った四角い色の上にきちっとちぎった色紙を自分がごまかすように貼って、作業は終わりました。しかし、ものすごく嫌な時間であったけれど、信じられないほど楽しい部分があったのです。あのときの楽しい感覚に山方さんの写真は一番似ている。

もうできているものの上に何か異物がある。
という感覚の気持ちよさだと思います。写真を見ていると空は空、家は家、ゴミ箱はゴミ箱、といった感じでそのもの「だけ」を切り取ろうと思えば切り取れるような濃淡で構成されていることがわかります。つまり貼り絵のように、例えば空の上に家を置いて、その上に壁を配置し、そしてその前に橋をつけた、そんな錯覚に陥ることができます。コラージュ分の濃淡を風景が兼ね備えているのです。しかし、ぞっとしました。そんな風景は絵画ではなく、写真で構成されているのですから。

トーク中、「四隅のまわりを意識して撮っています。その結果、フレームの真ん中には意図しない風景が出現することが多くなりました」という意味合いのことを仰られていました。今回のトークで特に「問題作」としてあがった2点(車の配置、また、地面の分量などがすごい)は特にそのコラージュさ加減の分量が際立ったものなのではないでしょうか。また、「山を意識しています」(山がインされている写真もいくつか展示されていました)と仰っていましたが、炭鉱のぼた山(石炭の採掘による鉱石が積みあがって出来た山、ムチャクチャです)に囲まれて過ごして来たものにとっては気になる箇所でした。写真展は7月14日まで続きます。坂本さん、山方さんの展示は6月2日までです。必見。坂本さんに関しましては少しお話もさせていただき、書きたいところが多すぎますので次回。