自分のフェアを撮り、人のフェアも撮る(ジャイアン風)そして緑について


本日は別のフェアの話題から。
今7階の人文書横コーナー、壁面で行われていますフェア「保坂和志≪世界の奏でる選書フェア≫」ですが、保坂さんによる選書本が最近追加されました。それがなんと音楽書とのことで、フェア担当者・新宿店の坂口憲二、阪根さまに了解を取って撮影しています。中央に陣取っているのは今回の選者・門松様著作の「大谷能生フランス革命」(以文社)。ほかにも佐々木敦さんの「LINERNOTES」(青土社)、アイラー本も2冊・・・。大谷さんの「貧しい音楽」(月曜社)、そして「ルイス・ブニュエル著作集成」(思潮社)でサンド、というなんかものすごいことになっています。必見。棚の中央、下のほうにあります。こうして自分が並べた棚ではなくて、人が並べた棚を見るのは不思議ですね。しばらくずっと考えていたこと。電車でいつも劇団四季の「ウィキッド」という公演の舞台写真のシールが私の乗る位置に悪夢のように貼られているのだけれども、明らかに顔の色がものすごく違う二人の女の人が今にも抱き合わんとしていて、顔の色が違うというのは、一人はまあ普通の人間の肌色の女の人なのだけれどもう一人が魔女の女の人なので顔が緑色だから、ということなのですが、その顔色が緑色にしても思い切りすぎ、みたいな真緑。ここまで真緑を公演中は毎日ということは、どうなのだろう。ドーランの負担、っていうことだけでなく、公演が終わったとき、ものすごく何か魔女役の人とそうでない人とでは、違うんじゃないかと思うのだけれど。演技中、ということもあるのだろうけど、むしろメイクを落としてからの落差というか、普段の自分の顔色と全く違った色を見て、そして普通の顔色に戻ることによって生じる何かは緑とか青のほうが、演劇の白塗りよりも激しいような気がする。以前デイリーポータルで大塚さんという方の記事により「青くする実験」というのがあって、ショックを受けたのだけれど同じ方がまた別の記事で信号機の色の青の美しさについて書かれていて、そうかあ、と思いました。色については自分は「綺麗だな」と思う感情もあるけれど、どちらかというと恐ろしさのほうを強く感じて記憶に残すような気がしてならず。と思って店に来たら、まさに自分の店のエプロンの色じたいが恐怖対象でした。しかしそんな環境下で作られた保坂さんフェアは書籍の関連性も考慮して並べられているとは思うけれど、それよりもこうして画像で見ると書籍の色の美しさを反芻するように(特に白いものは)並べられているのだなと思います。バッハフェアは、少し飾り付けを変更しました。(看板は思いっきり青ですね)ここ数日は後藤さん関連書、バッハ関連書では「さわりで覚えるバッハの名曲25選 CD付」加藤浩子著(樂書館)が動いています。