アレルギーと本

糸井重里さんが前に何かで「アレルギーっていうのは二つは同時に出ない。一方がひどくなれば一方が治まる」というような事を書かれていたような気がしますが、雨の日は朝、喘息と顔の痛みが全く同時に出るのでどういうことか、と思う。

喘息が私至上最高のピークだった7歳くらいのときは、毎日布団をいろんな三角形に折ってそれに頬杖をついて寝ていました。(フランスのお洒落な子供みたいですが、喘息の子供というのは仰向けでもうつぶせでも、本格的に寝ると本当に呼吸ができなくて死ぬような気がしてくるので、完全には床に頭をつけないで、布団とか、何かによりかかって寝る子が多い)病気を良くする為に寝ているのに実際寝られないしくみとは、バカじゃないかこの病気!と子供なのに思いました(ただ、結果、のん気なポーズのせいであんまり苦しんでいる風に見えなかったせいか、本は読んでもよかった。しかし本は『きょうの料理』とかしかなかった)ハードカバーではなくてソフトカバーにこだわるのはその時のなごりでしょう。

水仙月の四日

水仙月の四日

喘息が出ている状態で読める本と生理的に読めなかった本というのが家にある少ない本の中でもあって、そういう本だった宮澤賢冶については作品によってのその選り好みがひどかった。「銀河鉄道の夜」→死ぬ「やまなし」→まし「グスコーブドリの伝記」→無理「水仙月の四日」だけは好んで読みました。よく考えたら子供が雪わらしによって雪の中に押し倒される話です。(たぶんうつぶせ)小さいころは考えなかったけれど、こういう状態で寝ている子供になりたいという意識があったから、好き好んで読んだのか。いじらしいというよりも必死な子供です。自分が思ったよりもだんぜん、即物的な子供だったのでショックです。即物的だけどなにがなんでも読みはしていたのだな。考えたら、息ができないときに読んだ本というのは凄い。大人になってから読んだ本に比べて何倍も、情景が白くて明るいような気がする。銀河鉄道とグスコーブドリについては汽車や火山から、煙を連想して読めなかった。「セロひきのゴーシュ」については読めた。『絵と言葉のあいだで』フェア、内田さんの選書に入っている賢冶はこれです。

セロひきのゴーシュ (福音館創作童話シリーズ)

セロひきのゴーシュ (福音館創作童話シリーズ)

枡野さんの選書ではこれがついに入りました!新装版!閉店ギリギリに入ったので購入できず。明日買おう。群青が凄く綺麗な表紙です。

逆光の頃 新装版

逆光の頃 新装版

*今は7階東側のエレベーターをすぐ出たところで行われている『絵と言葉のあいだで』フェアですが、8月からはいまの棚の裏面(エレベーターに面していないほう)に場所が変わります。少し雰囲気が変わるかと思いますが、今の棚を思い出に留めたい人は明日まで!あとその隣のザ・何もかも命がけ福永信さんフェアも明日まで!福永さんにきのうお会いしたとき「31日は大変なことをしでかしてやるぜ★イヒヒ」と声に出しては言っておられませんでしたがお顔でそう仰っておられましたので、明日行った人は多分福永さんからの何らかの挑戦があると思います!私も福永さんの棚の目の前で枡野さんの本を買ったりして挑戦しようと思います。うそです。本は両フェアで買います!乞うご期待です!