地獄に落ちる、とは

前田司郎さん新刊「大木家のたのしい旅行 新婚地獄編 」(幻冬舎)、入荷しました。[rakuten:book:13103128:detail]
ここまで可愛らしい表紙でものすごくぎょっとする。考えてみたら前田さんの過去の本もほとんどの表紙が可愛いらしすぎます・・・。
しかし何と言ったらいいのか。私の場合、高校卒業後、初めて見た劇団がいきなり五反田団だったため、(確か「鳩よ!」の演劇評を見て見に行ったのが最初だと思いますが、「家が遠い」だったかな、なぜよりにもよってそんなところから行こうと思ったのか思い出せません、「鳩よ!」もこの一回だけしか自分の生涯では買ってません)自分のここ10年分くらいと東京と五反田団はぐちゃぐちゃになってしまっており、またこの可愛らしすぎる表紙を見た時点で「どうしてこんなことになっているんだ」と思いました。凄い本が読まれる時代になったものだと思う。本当に嬉しいです。嬉しいが、大変な時代になったとも思う。

五反田団を見て初回から、ものすごく印象に残ったところ、それは「電気を消してから、話す時間の長さ」ということ。
シチュエーションとして室内で展開される劇が多いのだけれど、ほとんどといって人々は床に近いところに寝そべる、部屋の電気が消灯される、完全には消灯されない時もある、しかし消灯が沈黙を呼び起こすということではなく、五反田団の場合、むしろ、そのような消灯または豆電球の時間に最も多くのことを話したがっているような人物が登場することが多いような気がする。相手の姿が見えなくなってから、相手が寝るのに耐えられなくなって、話す内容のきわどさをどうしてここまで前田司郎という人は知っているのかわからないと思う。

幼児のころ、どうしてそんな内容の話を教えられたのか忘れましたが、寝る前に決まって「作物の美味しい実を食べたとうらんで、弟が兄を殺してその腸をさぐったところ、兄はかたい根のほうしか食べていなかった」という昔話をきょうだいで親にしつこいほど聞かされ、妹の寝顔を見ながら「別にきょうだい仲が悪いわけではないのになんでこんなに毎日・・・」と思っていました。考えてみればそのあたりから、私にとっての消灯時間、人の寝顔を見だした時間というのは気味が悪いですが始まりだったのですね。五反田団を見に行く時、いつもその時間のことも一緒に考えています。あの昔話のおかげで暗闇で考えるしかなかったあのころのことをふいに思い出したりすることの出来る舞台は、なかなかそうあるとは私には思えません。